
鬱病 / 鬱な気分
5月29日(日)、富山市内のホテルで「現代社会と心の健康」というシンポジュウムがあり、
基調講演で、「不安の時代に心を保つ」と題して、香山リカさん(精神科医/立教大学教授)が
話をされました。まず、その中で印象に残ったことを書いてみます。
①かつて鬱病になる人は高齢者が多かったが、若年化が進んでいる。
②かつては真面目な人がかかっていたが、今は必ずしもそうとも限らない。
なんと、「いつでも」「誰でも」かかりうるらしい。
「いつでも」「誰でも」って、何も言ってないことと同じじゃないか、
と言うような輩は、きっと鬱病なんかにはならないのだろう。
③鬱病にかからないためには、状況を俯瞰して見る、冷めた目で見る、
違う角度から考える、物事を即断しない・・・などが重要である。
つまり、あまり真面目に思いつめたりしない、ということなのでしょう。
しかし、②が正しければ、今や③のようなタイプも鬱病になりうる。
このことは、奇しくも私自身の体験でその正しさが証明されてしまうのです。
共感疲労
東日本大震災が起こった3月11日から4月下旬まで、私はある症状に悩まされた。
TVや新聞で被災地の復興に尽力している人々を見ると、涙が出て来るのである。
「こんなにも親切にしてくれてありがとう」「かたじけない」「人ってやさしいなぁ」
これは、私自身が人一倍心やさしい人間であるという事実を考慮したとしても、
それにしても過度な反応だろう。一体これは何なのか。
④共感疲労 : 津波によって家族を失った人、住むところを失った人の映像を見て、
直接被災地に行って被災者に触れたわけでもないのに、「なんて可愛そうなんだろう」
「たいへんだろうな」と思いを寄せ過ぎて、精神が疲労している状態
ふむ、共感疲労なのか、私も。
おそらく地デジ化の影響もあると思われます。
我が家では長期間の抵抗運動に疲れ、ついに昨年の11月、地デジ化し、
重厚な豪華厚型テレビを手放し、薄型大画面テレビを買ってしまったのです。
3月11日以来、鮮明な大画面から迫り来る津波が何度も何度も放映され、
それに影響された私の無意識内では虎と馬が駆け巡っていました。
なんか弱っちぃなぁ。お恥ずかしいかぎりです。
鬱の力
どうすれば鬱病にならずに済むのか。
あまり思いつめない。無理に頑張ろうとしない。もう少し自分に甘く。
自己評価を上げる。自己を肯定する。平静を保つ・・・。
いろいろあるようですが、医学的というより、ものの考え方ですね。
香山さんのお話の「ややぼんやり」した輪郭に今一爽快感を得られなかった私は、
この人しかいない、と思いました。

戦略的マイナス志向の王者・五木寛之さんです。
『大河の一滴』の紹介文にはこうあります。
なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。
頑張ることにはもう疲れてしまった。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。
「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」
「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、
究極のマイナス思考から出発したのだ」と。
そして、なんとこんな本があるんですねぇ。
『鬱の力』(五木寛之/香山リカ対談本)幻冬舎新書
今これを読んでいます。
人生で「楽」を目指しながら、なかなか楽に至らず苦しみの中にいる。
人生は「苦」だと見切り、どんな状況にも平然と微笑んでいる。
好みの問題だと思います。
でも、「好み=その人」です。
藤田登久
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